海外医療制度勉強会のスピンオフの『日本の医療制度の歴史』を開催します。
今回は中世の医療制度です。
皆様、ご存じの通り、日本の医療制度の歴史は「大宝律令」(701年制定)からスタートします。
唐の律令制度をモデルにしており、当時の医師は典薬寮に所属していました。
制度としては、けっこうきっちりしており、当時は往診が中心でした。
また患者側が医師を評価するシステムがあり(まぁ、お偉いさんを診るので、医師より立場が上なので、当然と言えば当然ですが)なかなか興味深いです。
しばらくは、典薬寮を中心に律令の世界で医師が活躍していましたが、中世暗黒時代の鎌倉時代になると、状況が変わります。
武家という暴力団みたいな連中がはびこり、これまでのルールを壊して回ってしまいます。
一方で、日宋貿易が始まり、当時、世界最先端の国である「宋」の医療が伝達されます。針治療とかお茶とかが浸透します。
医療を提供して報酬を貰う開業医という生き方が誕生したのが、鎌倉時代です。
その後、鎌倉の統治がほころび始め、室町幕府が樹立します。
鎌倉幕府は医療を軽んじていましたが、室町幕府は積極的に統治に医療を利用します。
この頃は日明貿易(朱印船貿易)で、これまた当時の世界最先端の医学を勉強をしに、留学を推進したりと、今日の漢方の基礎的な知識が確立していきます。
医師の地位も爆上がりの時期です。
そして、戦国時代をえて、江戸時代に突入。
この頃になると各大名家が抱える御典医など、独自の流派を掲げる医家も登場。
当然、徳川家のお抱えの医師とかもいます。
そして、医療もようやく民衆に届くようになります。
江戸の町には、駕籠医者と徒歩医者といった医師にもランクがつき、大規模な勉強会なども開催されるようになります。
また蘭学医と言う事で、西洋医学も部分的に入り込むようになってきました。
例えば、一里塚というのがあります。
一里は4kmなのですが、現在の在宅医療の訪問エリアは16kmとされていますが、四里くらいまでは診たれや、という慣習が基準になっています。またその際は往診料として、足代も請求してよい事になっていました。
養生訓なども、江戸時代ですね。
とまぁ、ちょっと賢くなれる感じです。
何事も歴史から学ぶと、流れも理解しやすくなります。
御用とお急ぎでなければ是非ご参加頂ければと思います。
第二弾は、明治~大正時代の医療制度 近代医療制度の成立まで を予定しています。