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2024/1/03

日本の医療制度勉強会  近代の医療制度2024年版(明治時代~大正時代)を開催しました

海外医療制度勉強会のスピンオフの『日本の医療制度の歴史』を開催します。
今回は近代の医療制度です。

さて日本の医療制度を勉強する時、どこから始めればよいか?
もちろん、明治時代からです。
明治7年(1874年)の医制から、近代日本の医療制度がスタートします。
なんと来年は、近代医療制度成立から150周年です。
凄いですね150年ですよ、150年。

江戸時代末期。
1853年、浦賀にペリー来航です。
250年続いた江戸幕府の終焉を告げる黒船がやってきました。
こいつら、一緒に疫病も持ってきます。
コレラですね。

感染症は鎖国中もありましたが、黒船に代表される外国籍の船は、文化や情報だけでもなく、病原菌を連れてやってきます。
まだ関所が機能していた江戸時代末期は、関所で往来をせき止める事ができましたが、幕府の権威が落ちると、それも効力が低くなり、倒幕活動の背後で病死する人もたくさん出ました。
結果、明治政府は早い段階から、マジ、病気やべぇと近代医療制度の整備に着手します。
具体的には、明治1年から着手しているので、喫緊の課題と考えていたのでしょう。

戊辰戦争の際に、それぞれの陣営には英仏がついていました。
江戸幕府(フランス)
薩長土肥(イギリス)

ご存じの通り、江戸幕府は「江戸城無血開城」で降伏。
事実上の幕府が崩壊、明治政府に取って代わられます。

さて、その際に不思議な事があります。
江戸時代は鎖国でしたが、オランダだけが例外で貿易ができました。なので、西洋医学は「蘭学」として江戸時代にもありました。
そして、明治政府の後ろ盾はイギリスです。イギリスの軍医さんも日本に来日しています。
で。
明治政府が採用したのは「プロイセン(ドイツ)の医療制度」です。
オランダとイギリスを差し置いて、どこからやってきたプロイセン。
憲法のモデルもプロイセンですし。

いくつか理由がありますが、医療制度にはあんまり関係ないから割愛。
プロイセンと明治政府の国家戦略を比較検証すると、まぁ、イギリスじゃないよね、と思えます。これはこれは面白いですので、ちょっと触れようと思います。

紆余曲折有り、プロイセンの医療制度をモデルに、明治7年(1874年)の医制が完成。
近代日本医療制度がスタートしていきます。
完全医薬分業とか、今にも通じる取り決めがあったりします。

また明治時代の末期に、医療の大衆化が始まります。
金持ち相手の医療から、みんなの医療へ、と変わってきます。
このあたりは、経済成長が進むと健康が大事になってくるので、そういった要素もあります。

さらに明治末期に登場した「実費診療所」が日本の医療を一変させます。
今の医療制度の改革にも使える知識がわんさかありますし、途上国の医療制度を勉強する際にも、この時期の制度整備は非常に勉強になります。面白いです。

と言う訳で、近代日本の医療制度は、様々な示唆もあり、正月の終わりにちょっと教養を高めるにはよい機会かと思います。
是非、御用とお急ぎでない方はご参加ください。